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数学教育と指導要領



数学セミナー,1998年8月号

中馬1先月,数学者も真剣に数学教育のことを心配しているという
話がありましたが,どういう点が心配なのでしょうか。
蟹江1一番気になるのは,大学に入ってくる学生のレベルの低下で
すね。学力の低下です。知識のないことも問題ですが,知らない知
識をどう獲得したらよいかを知らないのが問題です。何より困るの
は,勉強する意欲が欠如していることですね。大学入試共通1次試
験が施行された頃から,徐々に,しかし確実に悪化していますね。
 共通1次やセンター試験が選択肢を選ぶ形式であるために,思考
力より記憶力が大事になり,ミスを減らすため反復学習が主になり,
若く柔らかで伸びようとする才能の芽を摘むことになる。その上,
詰め込む知識のレベルが低いから,入学してくる学生の知識の低下,
思考の硬直化,視野の狭窄が起こす,ということでしょうか。
 しかし,病状が確実に進行していくのを長年観察していると,悪
いのは入試制度だけでなく,高校教育自体も変質しているのではな
いかと思うようになります。
黒木1受験対策授業ばかりしている先生だけじゃないが,高校の差
別化が進んでいるから,進学校は進学校なりに,困難校は困難校な
りに成果をあげないといけないしね。
中馬2先生が変わったということですか?それとも,高校生自身が
変わったのでしょうか?
蟹江2そうですね。センター試験対策の授業を続けることで,高校
の教師自身が変わっていくということもあるでしょうし,高校に入
学してくる生徒のレベルの低下ということもあるようです。高校の
実質的「義務教育化」で平均的なレベルが下がったというだけじゃ
なくて。
黒木2難しい問題だね。これまで中学までの指導要領はそう大きな
変化はなかったし,レベルの低下が指導要領の所為(せい)だけとは
言えないけど,影響力は一番大きいね。
 指導要領が最初に定められたのは昭和22年で,それから大体10
年ごとに改訂がありました。年次進行ということもあって,小中高
で少しずつ改訂の時期がずれますが,小学校で言えば,26年,33年,
43年,52年,平成元年に改訂があって,今度は平成11年に大きな改
訂がやってくるわけです。
中馬3昭和22年の学校教育法施行規則第25条に「小学校の教科課程、
教科内容及びその取り扱いについては、学習指導要領の基準による」
とあります。学習指導要領は、Courses of Studies の訳で,本来
は児童・生徒主体の言葉だったそうです。戦前の教えるための「教
授要目」とは根本的な違いがあったと聞いていますが、現在では教
科書作りの指針となっています。
 新制高等学校の発足は昭和22年ですが、まだ指導要領はなく,検
定教科書の検定結果で内容を示すという形です。科目は「解析T
(初等代数)」,「解析U(微積分)」,「幾何(第一巻が平面幾何と
立体幾何,第二巻が平面及び立体の解析幾何)」でした。これは将
来数学が必要な生徒のためのものでした。ですから,もっとも多い
場合には15単位の授業ができたのです。わたしはこれで習いました。
「一般数学」という科目もあって,将来それほど数学を必要としな
い生徒に対して、一般教養を主として中学校の学習を発展させたも
のでした。旧制中学の卒業生が対象なのでかなり程度は高かったよ
うです。昭和26年11月に「中学校・高等学校 学習指導要領数学科
編(試案)」が公表されて,以降の初等中等教育の指導内容は指導
要領で決められることになります。
蟹江3あわわ,まるで歴史の講義だね。内容はともかく,昭和22年
当時の高校の構成は,以降の新制大学の教養部での教科内容の精神
と同じなんですね。
 新聞やテレビでも次回の改訂のことを見聞きするようになりまし
たが,あれじゃ誤解されますよ。算数・数学が落ちこぼれが多いの
で内容を減らす。これが眼目だという言い方の報道には世論誘導の
姿勢がはっきりとみえます。本質のすり替えの強引さには,唖然と
してしまいます。知らなければ,そんなものかと思うでしょうね。
黒木3次の改訂の内容が漏れてきたのは半年前くらいかな。それ以
来,数学者の集まりや高校の数学教師の研究会などでもいろんな提
案を出しているけど,これにはまったく取り合わず,既定方針通り
という感じで進んでいますよね。
 学習指導要領の改訂は、中央教育審議会(中教審)への諮問・答
申,教育課程審議会の諮問・答申という手続きで編成されていきま
す。教科書の執筆段階で抵抗することはまったく不可能なようです。
 さらに骨格は中教審で決まっており,その後の段階では目先の小
さなことしか変えられないようです。
蟹江4つまり,その教科の専門家の意見が反映できるようになる段
階では決定的なことは何も行えず,むしろ,改訂の欠点の表面的な
71修正というか,糊塗するだけの仕事しか残っていないということで
すか。今度の場合でも,授業数の削減という大命題は中教審に諮問
する前から決まっていて,削減方式だけの議論になったのだそうで
すね。
中馬4そうですか。算数・数学に落ちこぼれが多いので,内容を削
減して,小学校の内容の一部を中学校に移行して.....と数学だけを
問題にしておいて,ついでに授業数も減らした,と6月の始めにN
HKのローカル・ニュースで聞きました。反対だったんですか。ロ
ーカルだというのもおかしな感じでしたが,数学をスケープゴート
にしてるなと思いました。目先の問題だけの対処だけを言い,次代
81をになう子供たちの教育はどうあるべきかという議論がないのです。
蟹江5指導要領を作るという技術的な問題の顔をしながら,教育シ
ステムの根幹を変えていく官僚政治的な手法,ということですよ。
 これは聞いた話なんだけど,戦後に新しく教育制度を作るときに,
戦前の教育は評価されたんだそうですが,民主主義国家を作るため
に,「社会科」を創設することになって,で,アメリカの制度を輸
入したんだそうです。だから,Courses of Studies なわけです。で,
やってみたところ,これはいいというわけで,ほかのちゃんとした
教科にも適用を広げていったんだということです。
黒木4何が「これはいい」なの。何にとってかが問題で,わかる人
しかわからないよ。一般に知られているところから話さないと。
中馬5じゃ,現行の高校数学の指導要領を例にしますか。この改訂
は平成元年に実施されましたが,目標をスローガン的に言えば,国
際化・情報化・多様化に対応するということでした。これから,ど
うしてあのような評判の悪いものができてしまうのでしょうね。
黒木5今のカリキュラムは,本当に現場の評判が悪いですね。日本
数学会の年会などのときに,教員養成系教官の懇談会を開いている
のですが,一昨年と昨年の2回にわたり,高校の先生方の意見を含
めた調査報告をしたので,印象が強いのです。
 現在は,数学T,U,Vというコアがあり,それに数学A,B,
Cというオプションがあるという形です。先日,専業主婦をしてい
る数学科の卒業生から,「今の教科書はどうなってるのですか?」
という苦情がありましてね。なんでも娘さんが「数学Tを習ってい
るのに,数学Aに飛んだり数学Bに飛んだりと,つながりがわから
ず,勉強の仕方がわからない」と怒っているというのです。びっく
りして電話してきたようです。
 高校数学の教科内容を決める権限がわれわれ教育学部の数学者に
あると思ってくれているのでしょうね。教師になれるように学生を
110教育している立場なんですから。指導要領の策定に口も出せないな
んて,思わないですよ。
蟹江6コア・オプション自体は,悪い制度というわけじゃないんだ
が。系統立った授業のためには,飛び周らざるを得ない形が悪いの
であって,やり方によるということだろう。話はつきないが,誌面
115の方がつきた。来月に持ち越しですか。